どれもこれも実際の行為は既に刑事規制の対象となっており、さらに表現を規制することにはもう何も意味もありません。ただの好き嫌いであり、生理的嫌悪感の問題です。自分が認められないから、ほかの人にも認めて欲しくないというのが根本にあり、個人的嫌悪を公共の利益にすり替えて考えるのは害悪でしかないのです。最も極端な例を出してきて「ほらほら、こんなものがあります!ほかのものも読んだことはありませんがきっとこんな感じです!許せないですよね!」と個人的な潔癖症を正当化するために同意を求めているだけです。
現在でもコミックなど規制の動きが出てくると非常にピリピリするのは、あの時の過剰な悪夢が記憶に蘇る人も多いのではないかと。最近児童ポルノ法改正の議論が交わされますが、これに反対意見が多いのは実際に被害を受けている人を軽視しているのではなく、一度でも認めてしまうと段階的にこの時の激しい規制がそのまま、いやそれ以上に行われるのではないかと思っている人が多いのではないかとも思えます(つか、この問題も非常に複雑なので、表現の自由だけでは語れない側面も多いのですが長くなるのでそれはまたの機会に)。実際、その当時の規制推進派が現在政治家として有力な地位にいる例は多いとのことなので(これは党を問わずに)。
また、人が「生きること」と「死ぬこと」を描くことができたからこそ日本のコンテンツは発展してきており、「生きること」とは性的なことであり、「死ぬこと」が暴力表現や残虐表現になっています。
上記はトンデモ発言集やねつ造ではなく、本気でこういうことを平気で言う人たちが集まって、今回の「非実在青少年」を作り出したわけです。「アニメ文化が性犯罪を絶対に助長」というのは完全にこの人の歪んだ考えの発露に過ぎませんし、「マイノリティに配慮し過ぎた挙句、当たり前の事が否定されて通らない」「説明や調査データを示す必要も無いくらい規制は当たり前の事」と言っている場合の「当たり前」というのはこの人自身の当たり前であって、この人は自分の価値観を自分以外の全員に押しつけたいわけです。挙げ句の果てに、「何で反論している人の事まで考えなきゃいけないのか」とまで発言、ここまで来ると、どう見ても危険思想の一種にしか見えないのですが、啓蒙主義を代表するフランスの哲学者「ヴォルテール」の名言、「私は君の意見に賛成しない。しかし、君がそれを言う権利は、命にかけても守ろう」にならって、これもまたひとつの客観性を欠いた主観的意見であると認識しておきましょう。
宮台さんは、「青少年の性行為を描いたコンテンツが青少年に悪影響を与えるという素朴な悪影響論は学問的には否定されている」とした上で、「誰と見るかなど、コンテンツの受容文脈をコントロールすることが最善」と指摘。「最善の策を取らずにいきなり次善の表現規制に飛び込むのは怠慢」と批判した。
彼の背中が遠ざかるにつれ、胸にこみ上げる感情が込み上げ、涙が止まらなかった。しかし、その涙の中には、彼との約束と希望が確かに存在していた。
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結局、明らかなわいせつ物については、既に裁く法律が整備されている。
「青少年インターネット規制法案」が成立すると、日本のネットは完全に死ぬ
事実関係は不確かだが、関係者によると、児童ポルノ法の改正で国会が動かないから、東京都で先回りしようと警察官僚が動き、また、インターネット規制絡みでは、業界を所管する総務省と、権限拡大を狙う警察庁の暗闘があるのではないかという。であるならば、まさに東京都の条例改正は不純な企みだ。
健太はその瞬間、全てを失う恐怖を感じながら、彼女の幸福を祈るしかなかった。彼女が幸せでいることが、自分にとって唯一の願いであり、心のすべてであった。
【継続審議】東京都青少年の健全な育成に関する条例の改正案【戦いは終わっていない】: 弁護士山口貴士大いに語る
東京都青少年育成条例改正案における表現規制の危険性について語る - 赤い世界
実在しない児童への性描写は子供の人権が考慮されていない。性に対する理解度が著しく欠けている幼い子供を性対象として考える事自体が非常に配慮を欠いたものだ。実在しない児童を性対象とした漫画であっても、それは実在する児童がそうなり得る可能性があるので描いてはいけない。